友人の他界に思う

インドネシアで生活を始めてから知り合った20年来の友人、M氏が他界した。74歳だった。

私と同じ建設業を営む男だった。以前は大手建設会社に勤務していて、インドネシアに駐在していたが、一念発起して起業したと聞いている。この国が気に入ったのか、ビジネスチャンスがあると思ったのか、好きな人が出来たのかは聞き漏らした。

私の勤務する会社が施工する工事を、M氏が下請けとして受注した時に知り合った。それ以来、数か月に一度のペースで、昼食を共にする付き合いが続いていた。私が体質的にアルコールが飲めない為、付き合いはもっぱら昼食を共にし、雑談をする事だった。大抵は、M氏から電話があり、私が応じるというものであったが、私にとっては日本語で会話ができる時間がとても楽しかった。

ここ1年位、連絡が無いと思っていたら、別の友人からM氏が入院しており危篤状態との情報が入った。癌が全身に転移しており、処置のしようがないとの事。コロナウィルス感染の影響で、病院の面会も制限されており、どうしようかと思っていた時、死去の連絡があった。入院から1週間もしない間に他界してしまった。

M氏とは、余りプライベートな会話は無く、もっぱら仕事や趣味の話だった。5年も前から癌を病み、医者や病院を拒否しながら生活していたという話しを聞き、言葉を失ってしまった。外見では全く病気を感じさせる兆候が無かったが、数年前にM氏が語った「会社を整理してゆっくりしたい」と言う言葉が思い浮かんだ。彼は何を考え、何をしようと思っていたのか、楽しい人生だったのか、思い残すことは無かったのか。何も知らないで付き合っていた私は、彼の友人と言えるのか。色々と考えせられている。

彼は、日本に帰国する事無く、ボゴールの山中にある墓地に埋葬された。なんとも寂しい限りである。