50年前に手掛けた建造物が記事に

インターネットのニュースを読んでいたら、鉄道チャンネルというサイトに、「宮原操車場に残る築50年超の鉄道遺構」という記事が目に留まった。宮原操車場は、私が建設会社に入社して2年目の時、現場監督として初めて手掛けた建造物があるので、忘れられない地名である。

記事を読むと、何とその建造物である「高架水槽」の写真が2枚も掲載され、施主、施工者、設計荷重、建設時期などの説明があった。新幹線の下り列車に乗車する度、新大阪駅を出発すると直ぐ左手を見て、「高架水槽」の存在をいつも確認していたが、記事によるとまだ現役のようである。そして、約50年前の建設時の事が懐かしく思い出される。

入社2年目だった当時の私は、仕事が解りかけて来た事もあって、少々生意気であり、自身満々だった。現場には、主任と私の2人が配属となったが、主任は兼務で他に大工事を抱えていたので、実際の現場の指揮は私が取る事になった。私は、高架水槽1基の施工なんて簡単だと舐めて掛かっていた。高架水槽は、円錐形の頂部を切った様な形状で、高さは25メートル位だったと記憶している。

施工が始まると、測量で躓いてしまった。円錐形の中心点が測量の度にズレてしまい、外壁の角度が均一にならないのだった。現在の様なGPSを使った位置や、距離が測定できるような測量機械が無い時代である。型枠大工の世話役に助けられて、測量方法を教わり、無事完成した。論理より経験が大事という事に気づかされた事が、その後の仕事に大いに役立ったのである。

自分の手掛けた建造物が記事になり、誇らしいやら、嬉しいやら、何とも幸せな気分である。