老害と老人顔

 森五輪組織委員会会長が女性蔑視の発言を巡って辞任した際、会見の中で”老害と言われるなら”との発言をしていた。老害とはなんだろうか。歳を取り判断力が鈍ったり、体力が低下して行動力が無くなる事だろうか。自分自身では気が付かないが、周りにいる家族や知人たちが感じる事なのだと思う。従って、自分自身の口から”老害”と言う言葉が発せられるという事は、自身が周りの情勢や対応からそれを感じているからだと思う。森委員長は、自分でもうすうす感じていた中で、今回の騒動で家族にはっきりと失言を指摘され、辞任を言われたのだと感じる。それで、決心がついたのだろう。過去の実績や名誉を傷つけない為にも、退け時だったと思う。

 もう一人、政界で老害を指摘されている人物がいる。二階堂自民党幹事長である。現在の自民党のボスであり、歴代の総理大臣誕生に影響力を及ぼし、現総理大臣にも大きな影響力を持っている。森氏、二階堂氏、麻生氏など、政界で失言を繰り返している高齢政治家は多い。しかし、政治家には定年が無く自身が引退を決意するまでは、何歳まででも仕事が出来るし、政党の重鎮になっている場合には、若い議員達から”老害”を指摘されることもないだろう。もし、そのような発言をすればその者は忽ち干されてしまうからだ。従って、若い40代、50代の政治家が育たない。マスコミもこぞって若手政治家の未熟さや失敗を書き立てるので、名誉挽回のチャンスも与えられず、潰されてしまう。

 特に政治家は、過去の栄光や実績にとらわれず、顔の変化や行動に注意するべきだと思う。自分がそうであるように、70歳を過ぎると、顔の弛みが顕著になり、目がシジミ目になってしまう。自分の父親の晩年の顔にそっくりになって来る。目がシジミ目になり、眼光が低下し、曇ってまさに老人顔になって来ると要注意、老害の予兆である。行動にも予兆がある。どう見てもよちよち歩きで、まっすぐ歩けないような人物の脳が、正常に的確な判断が出来るとは思えないのだが。

 アメリカのバイデン大統領も高齢で、認知症を指摘されており、老害の仲間入りしている政治家の一人であろう。度々失言を繰り返しているようだが、老害を払拭しようとする努力が痛々しい。演説などで登壇する際に、必ず駆け足で移動するが、つまずいて転んでしまうのではないかと、ハラハラドキドキして見ている。眼もシジミ目に近いが、眼光だけは日本の政治家に比べると鋭い。

 自分が70歳を過ぎた今、いくら好きな事をやっていても、思考力、行動力が徐々に低下して来ているのを実感している。顔も老人顔になり、そろそろ老害と言われるだろう。政治家も定年制を設けて、75歳定年としたらどうだろうか。政治家が若返り、日本の前途が開けるのではないだろうか。